
群馬県の
こんにゃく生産
群馬県では室町時代からこんにゃくの栽培が始まりました。
群馬県とこんにゃくの歴史と、日本有数の生産量の理由をご紹介します。
令和6年産
栽培面積
2,690ha
全国の約92%
収穫量
49,700t
全国の約97%
群馬県で
こんにゃく栽培が多い理由

多い理由 01
群馬県の水はけの良い土がこんにゃくの栽培に適しています。

多い理由 02
他県では、第二次世界大戦後、食糧増産のため、こんにゃく芋からさつまいも等のいも類に切り替えましたが、群馬県ではこんにゃく芋の生産を継続しました。

多い理由 03
その後、養蚕の衰退に伴い、桑畑からこんにゃく生産にシフトし、生産量が増加しました。一方、他県では、栽培が難しいこんにゃくから他の園芸作物に切り替えたため、こんにゃく芋の生産が衰退しました。群馬県では、引き続きこんにゃく生産を継続し、地域特産物としての地位を確立してきました。

多い理由 04
昭和21年、国の助成により昭和21年に群馬県農事試験場こんにゃく指定試験地が設置されました(26年に県に移管)。その後、「みやままさり」などの品種育成や栽培技術の飛躍的な向上により、北部の平坦地域に急速に普及しました。これにより、栽培面積の拡大と安定生産が実現しました。
こんにゃくの歴史
食用としての記録
中国 西暦300年頃
「蜀都賦(しょくとのふ)」という書物に、食用としてのこんにゃくが登場します。
日本 平安時代(935年頃)
「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に灰汁で凝固させて食べる蜀の珍味として紹介されています。鎌倉時代以降、仏教の普及と共に精進料理として広まり、江戸時代末期には料理集「蒟蒻百珍」が発行されました。その書には田楽、刺身、狸汁など76種の料理法が記載されており、豊かなこんにゃく食文化がうかがえます。

堀取り・搬出之図

芋切り・乾燥之図

串差し之図

製粉之図
提供:一般財団法人 日本こんにゃく協会
経済作物としてのこんにゃくの歴史
江戸時代 水戸藩(茨城県久慈地方)が最初の産地
荒粉・製粉の加工が始まる
1700年代後半、中島藤衛門が芋からこんにゃく粉に加工する方法を考案しました。これにより、長期保存と広い範囲での流通が可能となりました。
その後、全国各地に販路が広がり、庶民の健康食品として定着しました。
群馬県とこんにゃくの歴史
紀州(和歌山県)から種芋を移入し、栽培が始まりました。
加工技術が導入され、こんにゃく粉の生産が本格化しました。
急流を利用した水車による精粉加工が盛んとなり、栽培も下仁田町を中心に広がりました。各地で生産されるこんにゃく芋(荒粉)が下仁田町に集められるようになりました。
2020年の栽培面積は昭和村が全国1位(出典:2020年農林業センサス)
その他、渋川市、安中市、沼田市、東吾妻町、富岡市が主な産地となっています。
